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2016年09月18日 開会式 庭野日鑛会長スピーチ
生命を尊び、皆が調和して生きるために

一九八六年十月二十七日、私は、父・日敬開祖の代理として「祈りの集い」に出席致しました。
この日の朝、雨模様のアッシジの空にあざやかな虹がかかり、それを見ながら、開会式の会場へ向かいました。昼間はほぼおだやかな天候でしたが、夕方の閉会式からは、時おりみぞれのまじる荒れた天候に変わりました。
スバシオ山から吹きおりる寒風が、体温を奪います。それでも、全世界から集った諸宗教指導者の表情は凛(りん)とし、平和に向けた強固な意志を感じ取ることができました。その光景は、今も心に深く刻み込まれています。
当時、私は、まだ四十代でした。現在まで、諸宗教対話・協力の推進に微力を尽くしてまいりましたが、このアッシジでの感動と体験が出発点になったといっても過言ではありません。
三十年という年月の中で、国際的な諸宗教対話・協力が、確実に進展してきたことは、皆さまもご承知の通りです。一方、世界的な気候変動、貧困、水や食料の不足などの諸問題は危機感を増し、紛争やテロも頻発しています。
三十年を経て、世界は平和に近づいてきたのでしょうか。
釈尊は、人生は「苦」であるとし、その代表として、「生老病死」——つまり、生まれ、老い、病み、死んでいくという四つの苦を教えました。「苦」とは、人間の自由にならない、思い通りにならない相(すがた)を指します。同様に現代文明も、老い、病み、やがては滅んでいくのではないか、と思わせる現実が目の前にあります。
しかし、だからこそ我々は、自らの力不足を認識し、内省しつつ、共に手を携えて、新たな段階に向けた創造的な工夫を続けていかなければならないのだと思います。
そのために重要なこととして、二つの点があります。一つは、政治、経済、国際機関、民間団体、メディアなど、各界との連携を深め、より開かれ、より行動的な活動を目指すことが不可欠だということです。
あらゆる宗教に共通する普遍的価値——つまり生命を尊び、皆が兄弟姉妹として調和して生きる、という願いが、政治、経済等の各界に反映されれば、平和への大きな力となります。
平和は、宗教者だけでは築けないことを再確認し、各界との対話を通したネットワークづくりを真剣に進めていきたいものであります。
もう一つは、人材育成です。中国の古典に次のような言葉があります。
「一年計画ならば穀物を植えるのがいい。十年計画ならば樹木を植えるのがいい。終身計画ならば人を育てるのに及ぶものがない」と。
あらゆる問題に継続的に取り組み、本質的な解決に導いていく上で、人材育成は、要となるものです。特に若者が積極的に参加することによって、新たな発想も生まれ、平和に向けての創造的な展開が期待できます。
そのような次世代を見守り、支え、育てていくのが、私どもの最も重要な役割の一つでありましょう。

(文責在記者)

(2016年9月29日記載)