『経典』に学ぶ

三帰依

経文

(みずか)(ほとけ)()()(たてまつ)
(まさ)(ねが)わくは(しゅ)(じょう)(とも)に (だい)(どう)(たい)()して()(じょう)()(おこ)さん

(みずか)(ほう)()()(たてまつ)
(まさ)(ねが)わくは(しゅ)(じょう)(とも)に (ふか)(きょう)(ぞう)()って智慧(ちえ)(うみ)(ごと)くならん

(みずか)(そう)()()(たてまつ)
(まさ)(ねが)わくは(しゅ)(じょう)(とも)に (だい)(しゅ)(とう)()して(いっ)(さい)()()ならん

現代語訳

(わたし)たちは、()(ちゅう)(だい)(せい)(めい)である(ほとけ)さまに()()いたします。そして、すべての(ひと)たちとともに、宇宙(うちゅう)真理(しんり)(ほう)体得(たいとく)し、(さと)りの境地(きょうち)(たっ)することを(せい)(がん)いたします。
(わたし)たちは、(ほとけ)さまのお()きになったみ(おし)えに()()いたします。そして、すべての(ひと)たちとともに、(とうと)いみ(おし)えの(おく)にある根本(こんぽん)真理(しんり)をつかみ、大海(たいかい)のように(ひろ)いほんとうの()()()ることを誓願(せいがん)いたします。
(わたし)たちは、信仰者(しんこうしゃ)結合体(けつごうたい)(僧=サンガ)に帰依(きえ)いたします。そして、(ねが)わくは()(ひと)びとをすべて仲間(なかま)にし、()けへだてなく(むつ)()い、そのサンガを()()げ、前進(ぜんしん)させていくことを誓願(せいがん)いたします」

()()──その存在(そんざい)絶対的(ぜったいてき)なものと(しん)じ、(こころ)のよりどころとし、すべてをお(まか)せすることです。

意味と受け止め方

仏教徒(ぶっきょうと)(ちか)

(ぶっ)(ぽう)(そう)(さん)(ぽう)()()することは、(しゃく)(そん)(ざい)(せい)(とう)()から、仏教(ぶっきょう)教団(きょうだん)(はい)第一(だいいち)条件(じょうけん)として大事(だいじ)にされてきました。(さん)帰依(きえ)(とな)えること、すなわち(みっ)つの(こころ)(がま)えをしっかり(まも)不動(ふどう)決意(けつい)()つことによって、釈尊(しゃくそん)教団(きょうだん)への入門(にゅうもん)(ゆる)されたのです。なぜなら、三宝(さんぽう)こそが仏道(ぶつどう)(あゆ)(うえ)での根本的(こんぽんてき)支柱(しちゅう)となるからです。
(わたし)たちが(さん)帰依(きえ)(とな)えるということは、(とな)えるたびに「(ほとけ)さまの弟子(でし)とならせていただきます」と(せん)(せい)し、「サンガのみんなと一緒(いっしょ)仏道(ぶつどう)(あゆ)ませていただきます」と(ちか)いを()てることです。(さん)帰依(きえ)は、そうした気持(きも)ちを()めて()()げたいものです。

(ほとけ)()()(いだ)かれて

(ほとけ)とは、すべての存在(そんざい)()かす、根源(こんげん)(おお)いなるいのちです。いつ、いかなるときも、(ほとけ)さまは(おや)として(わたし)たちを無条件(むじょうけん)絶対(ぜったい)愛情(あいじょう)見守(みまも)り、はぐくみ、成長(せいちょう)(ねが)ってくださっています。
ところが、日々(ひび)生活(せいかつ)のなかでは、(たの)しいことばかりが()こるわけではありません。むしろ、(かな)しいこと、(つら)いことのほうが(おお)いのではないでしょうか。しかし、(ほとけ)さまは、それらすべてをとおして(わたし)たちを向上(こうじょう)させ、(しん)(すく)い((さと)り)に(みちび)いてくださいます。(たの)しいこと、(かな)しいこと、(つら)いことなどすべての出来事(できごと)のなかに、(ほとけ)さまの(ひろ)(ふか)()()()められているのです。
純粋(じゅんすい)(ほとけ)帰依(きえ)すると、このような「すべての現象(げんしょう)()真実(しんじつ)価値(かち)」が()えてきます。そして、そこから、どんな苦難(くなん)をも()()えていく勇気(ゆうき)(ちから)がわいてくるのです。

すべては(ほう)のごとく

仏教(ぶっきょう)根本(こんぽん)原理(げんり)は、(さん)(ぽう)(いん)です。それは、(しょ)(ぎょう)()(じょう)(すべてのものごとは()えず変化(へんか)している)、(しょ)(ほう)()()(すべてのものごとは(かん)(けい)()っていて、()()(はな)された()はない)、()(はん)(じゃく)(じょう)無常(むじょう)無我(むが)(さと)ることで(まよ)いの()えた(やす)らぎの境地(きょうち)()られる)という(みっ)つの(おし)えです。
この三法印(さんぽういん)神髄(しんずい)が「無常(むじょう)」の(ほう)であり、その真理(しんり)(もと)づき、この()のすべての存在(そんざい)のありようをみると、「(たが)いに関係(かんけい)()いながら変化(へんか)し、変化(へんか)しながら関係(かんけい)()っている」と、とらえることができます。これを(えん)()(かん)ともいいます。
縁起(えんぎ)(ほう)具体的(ぐたいてき)()うと、この()存在(そんざい)するすべてのものごとには原因(げんいん)(いん))があり、それが(なに)かの機会(きかい)条件(じょうけん)(えん))に()うことで、さまざまな結果(けっか)として(あら)われ(())、その結果(けっか)は、(かなら)(なに)かの影響(えいきょう)(およ)ぼす((ほう))ということです。つまり、すべての現象(げんしょう)やその(はたら)きは、(いん)(えん)出会(であ)って()こる(縁起(えんぎ))のであり、(いん)があっても(えん)()わなければ、現象(げんしょう)(しょう)じません。
たとえば、(うつく)しい(はな)()かせる植物(しょくぶつ)(たね)があるとします。しかし、(たね)(いん))は(つち)(みず)(ひかり)などの条件(じょうけん)(えん))がなくては、()()(はな)()かす(())ことができません。(はな)()かなければ、()(ひと)(こころ)(なご)ます((ほう))こともできないのです。あるいは、(こころ)(そこ)(とん)(よく)自己(じこ)中心(ちゅうしん)(しゅう)(ちゃく)(しん))が(つよ)くわだかまっている((いん)場合(ばあい)に、ある(ひと)から自分(じぶん)(おこ)ないについて、(きび)しく指摘(してき)された((えん))とします。すると、ほとんど反射的(はんしゃてき)(いか)りの(こころ)(しょう)じ、相手(あいて)()める気持(きも)ちを(いだ)いてしまう(())のではないでしょうか。その()二人(ふたり)関係(かんけい)は、表面(ひょうめん)平静(へいせい)(よそお)っていても、どこかギクシャクしたもの((ほう))になってしまいます。
しかし、指摘(してき)されたこと((えん))をありのままに()つめ、()けとめる()()目覚(めざ)めていたら((いん))どうでしょう。「またひとつ自分(じぶん)()りないところを(おし)えていただけた。ありがたい」と相手(あいて)(たい)して感謝(かんしゃ)(おも)いがわいてくる(())ため、相手(あいて)との関係(かんけい)は、(たが)いに(こころ)(みが)()うサンガとしてのすがすがしいものになってくる((ほう))はずです。
このように、この()のすべての現象(げんしょう)は、真理(しんり)(ほう)のごとくに展開(てんかい)されます。ですから、(ほう)帰依(きえ)し、(こころ)(おこ)ないを(ほう)のレールにそわせることができれば、自由自在(じゆうじざい)()きていけるのです。

サンガの(ささ)

(そう)とは、僧伽(そうぎゃ=サンガ)の(りゃく)で、語源(ごげん)は「密接(みっせつ)結合(けつごう)」という意味(いみ)です。釈尊(しゃくそん)仏法(ぶっぽう)(しん)じ、(ぎょう)じる(ひと)びとの()(ごう)姿(すがた)をこう()ばれました。
(わたし)たちは日々(ひび)、さまざまな誘惑(ゆうわく)苦悩(くのう)直面(ちょくめん)します。そのようなときに、たった一人(ひとり)(なや)みを(かか)えていたら、(こころ)(ふか)()()むばかりです。また、(ほう)(もと)めて修行(しゅぎょう)していても、一人(ひとり)ではややもすると()(だい)(こころ)()こしてしまいます。しかし、(おな)(おし)えを信奉(しんぽう)するサンガの仲間(なかま)がいれば、お(たが)いに(はげ)まし()い、(たす)()い、(おし)()っていくことができます。苦悩(くのう)()()えることができるばかりか、苦悩(くのう)をとおしてもっと前向(まえむ)きに()き、もっと信仰(しんこう)(ふか)めていくことができるのです。
さらに、サンガの()(おお)きく(ひろ)げることで、自分(じぶん)一人(ひとり)(しあわ)せになるばかりではなく、(おお)くの(ひと)(しあわ)せの(みち)(みちび)いてあげることができるようになります。
このように、根本的(こんぽんてき)支柱(しちゅう)である(ぶっ)(ぽう)(そう)三宝(さんぽう)(こころ)のよりどころとすると、(なに)()きても(だい)(あん)(じん)でいることができるのです。

事例から学ぶ

事例編(じれいへん)では、各品(かくほん)()められた(おし)えを、(わたし)たちが日々(ひび)生活(せいかつ)のなかで、どのように()かしていけばよいかを、具体的(ぐたいてき)事例(じれい)をとおして(かんが)えていきます。

鈴木さん一家を紹介します。

おばあちゃん・ミチコさん(75)…佼成会の青年部活動も経験している信仰二代目会員
アキオさん(45)…一家の大黒柱。ミチコさんの末息子
アキオさんの妻・夕カエさん(38)…婦人部リーダー。行動派お母さん
長女・ケイコさん(16)…やさしい心の持ち主の高校一年生。吹奏楽部
長男・ヒロシくん(9)…元気いっぱいの小学三年生

三つの大きな宝

「ただいまー」
壮年部の夜間法座に出かけていたアキオさんが帰ってきました。
「お帰りなさい。久しぶりの法座はどうだった?」
妻のタカエさんが玄関に迎えると、アキオさんはニコニコして言いました。
「うん、やっぱり法座はいいね。きょうはほんとうに、いい話を聞かせてもらったんだよ」
アキオさんは居間のいすに座ると、タカエさんとおばあちゃんのミチコさんがお茶をいれてくれるのを待ってから、うれしそうに話しはじめました。
「法座でね、帰依三宝の話になったんだよ。なぜかというと、東支部の田中さんが、『ここ数か月というもの、仕事があまりにも忙しくて、家には寝に帰るだけだ。朝は五時半に家を出ないと間に合わない。ご供養をあげることもできないでいるため、信仰からどんどん離れていってしまう自分が不安でしょうがない』と言ったんだ」
「おや、その人の話は、最近のアキオ自身のことみたいじゃないか」
「そうなんだよ母さん。ぼくもハッとしたよ。それで法座主の壮年部長さんがこう言ったんだ。『ご供養は、とても大切な行ですよね。ですから、忙しくてご供養があげられないことが心苦しいという田中さんの悩みは、とても尊い悩みだと思います。しかし、ご供養をあげさせていただくことよりも肝心なことがあるんです。それは、私たち仏教徒が仏さまの弟子であるという自覚を持つことです。その自覚はどこから生まれるかというと、<私たちは仏さまに帰依します><仏さまが悟られた真理・法に帰依します><僧、すなわち仏法を信じ、行じる仲間・サンガに帰依します>という帰依三宝なんです。帰依というのは、その存在を絶対のものと信じて、心のよりどころにすることです。日々、この三つの大きな宝に帰依する気持ちを深めていくことで、仏教徒の自覚が強まり、職場でも通勤や帰宅途中の電車の中でも、人さまの幸せを願う菩薩行を喜んでさせてもらうことができるんですよ』ってね」
「なるほど。お経典のなかで『三帰依』を唱えさせていただくのは、仏教徒の自覚を日々新たにしていくために、とても大切なことだったのね」
「うん、さすがタカエさん。いいことを言うわ。そういえば、むかし組長のお役をいただくときに、教会長さんから教えていただいたことを思い出したよ。『教えを説いてくださり、私たちがよりよく成長できるようにと見守ってくださっている仏さまに帰依することと、仏さまが悟られた宇宙を貫く大真理・法に帰依することが大切なことは、仏教徒ならだれにでもわかることです。ところがお釈迦さまは、サンガに帰依することが最も大事であると説かれたんです。そのことを肝に銘じて、お役に励んでくださいね』。そうご指導いただいたのよ」
「お姑さんが言ったように、サンガに帰依することが最も大事だっていうことを、私も研修で教えてもらったことがあるわ。私たちは一人で法を求め続けたり、修行を深めることはむずかしいけど、同じ教えを信じる仲間がいれば、ともに支え合い、励まし合いながら学ぶことができる。そのためにもサンガは尊いんだっていうことだったわ」

みんなサンガ

「うん、法座でぼくがいちばん感動したのも、そのサンガのことなんだ。サンガっていうと、佼成会の会員をイメージするでしょう。ぼくもそう思っていたら、法座主さんは『それだけがサンガではないんです。会長先生のご法話で私も教えていただいたんですが、これからは教会サンガという、これまでのサンガの枠を広げて、地域でともに暮らすみんながサンガなんだという認識を持つことが重要です。職場や学校、地域社会が生活のべースなんですから、地域のなかで、ともに暮らすみんながサンガであると意識を換えて、それぞれの場でご法を実践することが、おのずと布教伝道につながっていくんです』って言われたんだ。ぼくはその話を聞いて、とても救われた思いと、勇気がわいたんだよ。この半年というもの、仕事に追われて教会にもあまり参拝できなかったし、壮年部の活動にも参加できなかった。それが田中さんと同じように心苦しかったんだ。でも、ぼくは職場の人とお客さんというサンガの声を聞きながら、教えを職場で実践していけばいいんだ、それがぼくの帰依三宝なんだって思えたんだよ。田中さんも、ぼくと同じように感じたらしく、とても喜んでいたよ」
「ありがたいお話がいただけてよかったわね。私もPTAや福祉センターでの手話サークルで、急にお世話役を押しつけられたりして、不満を言っていたでしょう。でも、みんな何かを学び合い、教え合うサンガなんだから、お互いに敬い合い、それぞれの場で、まず自らが教えを実践することが大切なんだってことを、きょうは教えてもらったわ。アキオさん、どうもありがとう」
「いやそんな。でも明日から、ご供養のときには心をこめて『三帰依』を唱えさせていただいて、仏教徒の自覚を深めていこうね」

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