法華経のあらましと要点

授記品第六

この(ほん)には、《(しん)()(ほん)(だい)()》の(たい)(けん)(はっ)(ぴょう)によって、()()()(しょう
)
()()(もっ)(けん)(れん)(しゅ)()(だい)()()()(せん)(ねん)がほんとうに(ぶっ)(ぽう)(しん)()したことをお(みと)めになったお(しゃ)()さまが、この四(にん)(じゅ)()されたことがのべられています。(じゅ)()というのは、《(ほう)便(べん)(ぽん)(だい)()》のところでのべたように、「そなたはかならず(ほとけ)(さと)りを()(ほとけ)(きょう)()にたっするであろう」という()(しょう)をあたえられることをいいます。

(じゅ)()には(じょう)(けん)がつく

しかし、この()(しょう)にはいつも(じょう)(けん)がついています。それは「これこれの(しゅ)(ぎょう)をしたのちに……」ということです。いわば、(ほとけ)(さと)りを()(だい)(がく)への(にゅう)(がく)(きょ)()(しょ)のようなものであって、けっして(そつ)(ぎょう)(しょう)(しょ)ではありません。これからさきの(べん)(きょう)がぜったい(ひつ)(よう)なのです。《()()(ほん)》のところで(あん)()された〈()(りき)〉と〈()(りき)〉ということが、ここで、またちがった(かたち)(しめ)されていることに(ちゅう)(もく)すべきです。

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