法華経のあらましと要点

嘱累品第二十二

値遇(ちぐう)への感激(かんげき)難事(なんじ)にいどむ(よろこ)

(ぞく)(るい)というのは〈(めん)(どう)(たの)む、()(しょく)する〉ということです。(まえ)の《(にょ)(らい)(じん)(りき)(ほん)(だい)()(じゅう)(いち)》の(さい)()(せつ)(めい)した()(ぞく)ということと(おな)じです。この(ほん)は、お(しゃ)()さまが、すべての()(さつ)(あたま)をおなでになって、「この(とうと)(さと)りを(こう)(せい)(つた)えるという(いち)(だい)()を、みんなに(たく)したいのです。どうか、(いっ)(しん)にこの(ほう)()きひろめて、ひろくあらゆる(しゅ)(じょう)()(やく)(ぞう)(しん)させてください」とお(たの)みになる(しょう)です。ですから、このことを()(らい)(そう)()(ぞく)〉とよんでいます。
もちろん、()(さつ)たちはこのおことばをうけたまわって、この(うえ)ない(かん)(げき)をおぼえ、この(なん)()にたちむかうことに(よろこ)びを(かん)じ、(かた)(けつ)()(ひょう)(めい)します。この〈()(ぐう)にたいする(かん)(げき)〉と〈(なん)()にたちむかう(よろこ)び〉を、われわれ(げん)(だい)()(さつ)もじっくりと(こころ)にかみしめなければなりません。それがこの(ほん)(さい)(だい)(よう)(てん)です。

(ふたた)霊鷲山(りょうじゅせん)

この(ほん)で、()()(きょう)(せっ)(ぽう)(おお)きな(いち)(だん)(らく)がついたのです。どういう(いち)(だん)(らく)かといいますと、(ほとけ)さまの寿(じゅ)(みょう)()(りょう)であることと、そのことを(かく)(しん)することの()(どく)()くいちばん(じゅう)(よう)()(ぶん)がここで(かん)(けつ)し、()()(きょう)のドラマの《()(そう)()(くう))の()》が(まく)()じ、()(たい)はふたたび(りょう)(じゅ)(せん)()りて、《(げん)(じつ)(りょう)(じゅ)(せん))の()》となるわけです。

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