法華経のあらましと要点

薬王菩薩本事品第二十三

()(さつ)衆生(しゅじょう)()(ほん)

これまでの(せっ)(ぽう)で、〈(しん)()〉はよくわかりました。いよいよこれから、その〈(じっ)(せん)〉にうつらなければなりません。ところが、(こう)(えん)(しん)()(にち)(じょう)(こう)()のうえにどう()かせばいいのか、(ぼん)()にとってはなかなか(けん)(とう)がつきません。その(もん)(だい)(かい)(けつ)するには、(かん)(ぜん)(えん)(まん)な〈(ほとけ)〉の(きょう)()(いっ)()()(まえ)にあって、ある一つの(うつく)しい(とく)、ある一つの(とうと)(こう)()(だい)(ひょう)する〈()(さつ)〉を()(なら)うのが、まずもって(じゅん)(とう)(みち)だといわなければならないのです。
それで、この(ほん)()(こう)(せっ)(ぽう)には、(しゅ)としてそれがのべられているのです。(しゅ)(じょう)に、より()(ぢか)()(ほん)(しめ)すことによって、(はっ)(ぷん)をうながされるわけです。

(けん)(しん)(てき)(じっ)(せん)(さい)(だい)()(よう)

さて、この(ほん)(とう)(じょう)する(やく)(おう)()(さつ)は、(にん)(げん)(びょう)()(なお)すことを(せい)(がん)した()(さつ)ですが、ここではその(ぜん)()()(もの)(がたり)(ほん)())により〈(けん)(しん)()()()(せい)(てき)(こう)()によって(ほとけ)よび(ぶっ)(ぽう)()(よう)する〉という(とく)(てん)(けい)としてあげられているのです。
(やく)(おう)()(さつ)(ぜん)()()(いっ)(さい)(しゅ)(じょう)()(けん)()(さつ)という()(さつ)で、(にち)(がつ)(じょう)(みょう)(とく)(にょ)(らい)という(ほとけ)さまにつかえて()()(きょう)(おし)えを()き、ひじょうに(なが)(とし)(つき)のあいだ(しゅ)(ぎょう)した(けっ)()(たか)(きょう)()にたっすることができました。そこで、(にち)(がつ)(じょう)(みょう)(とく)(にょ)(らい)()()(きょう)(おし)えを()(よう)()()(かん)(しゃ)のまごころをあらわす(こう)())したいとおもい、(じん)(りき)をもって(てん)から(はな)(こう)()らせて()(よう)したのですが、しかし、そういうことよりも、()をもってする()(よう)がよりたいせつだと(かんが)え、さまざまな(こう)()()み、()()ったうえで、()(ぶん)のからだに()をつけて()やしました。その()は千二百(さい)のあいだ()えつづけ、その(ひかり)()(かい)じゅうを()らしだしました。
(いっ)(さい)(しゅ)(じょう)()(けん)()(さつ)はこの()(よう)をなしおわって、寿(じゅ)(みょう)がつきたのですが、その()また(にち)(がつ)(じょう)(みょう)(とく)(にょ)(らい)(こく)()に、(こく)(おう)()として()まれ()わりました。そして、()まれるとすぐ(にょ)(らい)(らい)(はい)しにまいりました。すると、(にょ)(らい)は、「わたしは(こん)()(はん)(にゅう)(めつ)しますが、これからさき(ぶっ)(ぽう)()にひろめていくことを、そなたに(たの)みます」とおおせられ、そのとおりに(にゅう)(めつ)してしまわれました。
(いっ)(さい)(しゅ)(じょう)()(けん)()(さつ)は、()()(ぶっ)(しん)()(そう)にし、その(ぶっ)(しゃ)()(はち)(まん)()(せん)(かめ)(おさ)めて(くに)(じゅう)にまつり、それぞれりっぱな(とう)()てて()(よう)しました。それでも()(よう)()りないと(おも)った()(さつ)は、()(だい)(ふく)(とく)(かがや)()(ぶん)(りょう)(うで)()をつけて()やしました。その(こう)(みょう)()らされて、おおくの(ひと)(とうと)(ほっ)(しん)をしたのですが、七万二千(さい)たってそれが()えつき、()(さつ)(りょう)(うで)がなくなったのを()て、(ひと)びとは()(ぶん)たちの(だい)()(どう)()姿(すがた)(なげ)(かな)しみました。
それを()()(さつ)は、「わたしは(りょう)(うで)()てたけれども、そのかわりに(えい)(えん)()(めつ)()()ることができたと(しん)じています」といいました。その(しゅん)(かん)に、たちまち(りょう)(うで)はもとどおりになってしまいました。
この(もの)(がたり)(おし)えられている(よう)()は、
一、(にん)(げん)にとって()()()(せい)ほど(こう)()(せい)(しん)はない。
二、(じっ)(せん)こそが(おし)えにたいする(さい)(こう)()(よう)である。
という二(てん)(よう)(やく)することができましょう。

(じゅう)()(しょう)(たん)(こう)(せん)()()

この(いっ)(さい)(しゅ)(じょう)()(けん)()(さつ)(もの)(がたり)(のち)()()(きょう)のすばらしさを十の(たと)えで()かれる、いわゆる〈(じゅう)()(しょう)(たん)〉がはじまります。それに(つづ)いてお(しゃ)()さまは、()()(きょう)(おし)えを(じっ)(せん)するものの()(どく)をさまざまに()いて(くだ)さいます。
このようにお(しゃ)()さまは、まずわれわれの(こころ)()()(きょう)(ひら)いて(くだ)さり、そして、いよいよ〈()(めつ)()(のち)(のち)の五百(さい)(なか)(えん)()(だい)(こう)(せん)()()して、(だん)(ぜつ)して(あく)()()(みん)(しょ)(てん)(りゅう)()(しゃ)()(はん)()(とう)()便(たより)()せしむることなかれ〉と、(まっ)(ぽう)()こそ、()()(きょう)(おし)えを()(ひろ)める(とき)であることを、(ちから)づよく(せん)せられるわけであります。
(まっ)(ぽう)〉、それはまさしく(げん)(だい)であります。この(まっ)(ぽう)()きるわれわれにこそ、(さい)(しょう)(おし)えである()()(きょう)を〈(こう)(せん)()()〉する(じゅう)(だい)使()(めい)があるのです。つまりここで、お(しゃ)()さまから(ちょく)(せつ)われわれに、その使()(めい)(あた)えられたというわけです。

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